70周年記念企画『三世代物語』(2017年)

志を継承する、ということ。

初代社長から二代目社長、そして三代目社長へと渡されたバトン。
それはお取引先・社員・家族などナカシマに関わるすべての人々の幸福を願い、会社の永続を望む熱き志と使命感であった。
70年の歴史とともに歩んだ、三代の系譜をたどる。

初代社長 中島喜作 ナカシマの第一歩である、中島喜作商店を創業。その後業務拡大に伴い中島商事株式会社を起こす。

二代目社長 中島御幸 喜作社長が築いた礎を会社組織として整え、ナカシマの地盤固めを担った。

三代目社長 中島誠一郎 ナカシマの持続的成長を実現するために、独自の販売管理システムを一から構築するなど、次世代へ向け様々な改革を行う。

#01 源流

農業用給水ポンプが大当たり。

1947年(昭和22年)年3月1日、初代の中島喜作社長が、ポンプと水道材料の販売を主とする中島喜作商店を創業したのが、ナカシマの第一歩である。第二次世界大戦前に喜作社長が務めていた姫路市の金物商「永宗」は既に廃業していたが、その永宗時代の販路の掘り起こしと新規先の拡充につとめた。 喜作社長の長女である中島喜美子監査役は、創業当時は自転車の荷台、そして少し時が経ってからはオート三輪に商品を積んで商品を配達する父や従業員たちの姿をよく覚えている。「幼い頃に父と遊んでもらった記憶がほとんどなくて。父は朝早くから社へ出ずっぱりで、ずっと帳面づけをしていたという思い出があります」。
戦後の焼け野原から復興を遂げつつあった1950年代、中島喜作商店が取り扱っていた三洋電機の農業用給水ポンプが大当たりし、飛躍的な売上を記録したという。1957年(昭和32年)、中島喜作商店は業務拡大に伴って法人化し、中島商事株式会社となる。社内では温和な人柄で知られたが、家庭内ではもっぱら“仕事人間”としての顔を見せていたという喜作社長にとって、家族と社員の幸福を考えての事業の永続と発展が最優先事項だったことは想像に難くない。

#02 成長

宅地開発の波が到来。

1960年代に入り、成人した喜美子監査役は、夫となる御幸二代目社長と出会う。自らの出身地に近い但馬出身であり、実直な人柄の御幸社長を、喜作社長はすぐに気に入ったという。
御幸社長が喜作社長から請われて中島商事株式会社に入社したのは1965年(昭和40年)のこと。「新人は倉庫番から始めて、仕事と商品を覚える」慣習はナカシマに長く受け継がれた伝統だが、御幸社長とて例外ではなく、倉庫管理とトラックの配送からスタートした。 折しも日本は高度成長期を迎えた頃で、姫路市にも宅地開発の波が到来。水道の配管資材から水道設備資材、エアコン関連資材まで取り扱う商品の幅も取扱高も拡大し、事業は順調に発展を遂げていった。商品が一カ所の倉庫には収まりきらず、倉庫はあちこちに点在してつくられた。1969年(昭和44年)、倉庫と社屋を集約・拡張する形で、社屋は姫路市北条に移転。続く1971年(昭和46年)には豊岡営業所を開設し、但馬地区の拠点とした。 その頃には、姫路市内の同業他社の中では、ナカシマの目覚ましい成長ぶりと業績が知れ渡るようになっていた。

#03 構築

石橋を叩いても渡らない。

社内で実績を積み重ねた御幸社長が、喜作社長の後継者として陣頭指揮を執り始めたのは、1979年(昭和54年)のことである。
御幸社長の就任前から、喜作社長は重要な決裁事項をまず御幸社長に相談するようになっており、北条社屋移転も御幸社長の発案・主導によるものである。喜作社長は取締役会長に就任し、その後は大所高所から経営全般に気を配った。御幸社長は就任後、まず会社規約や就業規則、社内体制などのベースを整えていった。喜作社長が築いた礎を会社組織として整え、地盤固めを図ったのが御幸社長である。御幸社長は「石橋を叩いても渡らない」と自ら述べるほど、慎重な性格だった。学者肌で、家庭では時間さえあれば書斎に籠って読書に勤しんでいた。実直、誠実。そんなトップの人柄をそのまま映したようなナカシマだったからこそ、石油ショックやバブル崩壊といった経済混乱にもさほど悪影響を受けなかったのだろうか。

#04 萌芽

石橋を叩いても渡らない。

御幸社長の長男として生まれた現・誠一郎社長は自然豊かな姫路市で伸びやかに育った。幼い頃から明朗活発で、自然とクラスやクラブのリーダーに就くことも多かった。周囲の大人達からは父の後継者と目されていたが、誠一郎社長自身に当初そのつもりは全くなかった。ただ、父の書斎にあった司馬遼太郎の小説を小学生時代から読みこなし、経営・経済に関する書籍に親しみ、キャプテンを務めたクラブ活動では「強いチームをつくるにはどうすれば良いか」を常に考えていた。
ラグビー愛好家の御幸社長の影響でラグビーを始めた誠一郎社長は東京の高校・大学に進学し、学業とラグビーに熱中する青春時代を過ごす。就職先は、日本でトップランクに格付けされる一流証券会社。その会社で売上日本一になり、海外でMBAを取得し、起業することを目論見ていた。ところがというべきか、入社2年目にその証券会社で、新規顧客獲得数日本一を早々に成し遂げてしまう。

#05 転機

この状態が長く続く訳がない。

次なる目標を求め、誠一郎社長は証券会社を辞して映画製作の世界に飛び込んだ。『故郷』を題材にした映画で、ロケ地やスポンサー探しに日本中を奔走する中で、自ずと思いは自身の故郷である姫路に向かう。そんな時に御幸社長が上京し、「姫路に戻ってナカシマを盛り立ててくれ」と頼まれた。来るべき時が来た。そう思った誠一郎社長は、逡巡の末にではあるが、帰郷とナカシマ入社を決意した。
誠一郎社長が入社した当時、ナカシマは守りを重視する会社だった。
新規顧客を取らず、信用のある取引先としか商売をしない。そんな姿勢を貫きながらも26億円を売り上げ、高い収益性を確保していた。御幸社長と同じく倉庫番からスタートした誠一郎社長は、業務に打ち込みながら社内の状況を客観的に観察・分析していた。「初代や先代、そして先輩方が築いた信頼と強固な財務体質は素晴らしいものです。しかしその一方で、この社会状況のなか、一人勝ち状態が長く続く訳がないと思っていました」。

#06 改革

経営の見える化と人材育成。

やがて管理職として経営に関わるようになってから、誠一郎社長は“経営の見える化と人材育成”をテーマに掲げ、社内改革に着手した。「当時は在庫管理のシステムも未熟で、経営の透明性も計画性も不十分。周囲からは私に営業活動を勧める助言もありましたが、私はまず社内体制の整備が先決と考えました」。思い切った投資を敢行し、現在も使用されている独自の販売管理システムを一から構築した。業務をすべて洗い出し、整理や取捨選択を行って標準化。営業にとっての商物分離(※)をはじめ、それぞれの従業員が自らの業務に集中できる環境を整えた。さらに人材育成を重視していた誠一郎社長は、人事評価制度を導入し、やる気とチャレンジ精神がある人材を積極的に登用する方針を打ち出した。

※ 商物分離:商品を配達しながら、御用聞きの様に営業するスタイルから、営業は営業活動に専念できる様に、営業と物流を分けること。 

#07 創造

持続的成長を実現する為に。

社内改革と並行して誠一郎社長が注力してきたのが、新しい事業の種を育てることである。企業のミッションは、社会貢献と永続発展にある。そう考える誠一郎社長は、時代の潮流をとらえ、持続的成長を実現するために、可能性を感じた新しい事業の芽を積極的に育ててきた。採算の目途が立った段階で事業部に昇格させるなどし、時にはその事業に精通したプロの人材を中途採用し、新人をその配下につけて長期的視点で育成。2015年現在で8つの事業部を構築した。それぞれの事業が互いに補完し合いながら成長する「ポートフォリオ経営」を展開することで、各事業の業績は徐々に上昇カーブを描き、全社売上高のアップに結びつけた。2014年度第59期の売上高は55億円と、誠一郎社長就任時の2008年から2倍近くにまで達した。この成果について、誠一郎社長は「まだ何も成し遂げていない」と表現する。「その真意は、決して我々がやってきたことを評価しないわけではなく、まだ種まき期は続いていると考えているのです」。その究極の理想像はさらに高みにあり、まだ道半ばに過ぎないという。今だけを見て一喜一憂するのではなく、100年、いや200年、300年も続く企業であるために、どういう種をまき、何をなすべきか。誠一郎社長のまなざしは、常にずっと先にある光を見つめている。

監査役 中島喜美子

70年の道程を見守り続けて。

喜作は昔堅気というか、仕事一徹という父親でした。家庭の中ではいつも無口で、感情を表に出すようなこともあまりなかった記憶です。 夫の御幸は、これまた父に輪をかけて真面目で理論派の人。重責ゆえか家庭内で気難しい表情をしていることも多かったため、子育て中は気を使いました。長男の誠一郎は夫と正反対といえる性格で、幼い頃は相当やんちゃでしたが、周りから不思議と好かれる人柄でした。父や夫が代表を務めた時代のナカシマは誠実で堅い会社というイメージでしたが、誠一郎が後を継いでから、社の雰囲気は変わりました。若手の従業員が増え、さらに風通しが良くなったように感じられますね。夫の御幸は社長職を退いてから、実質上経営には口を出さない方針を貫きました。あたりが穏やかで優しくなり、今思えば「会社を守り抜く」という使命を誠一郎に無事に渡し終えて、心底ほっとしたのかもしれません。会社のために全力で走り抜けた父と夫、そして今走り続けている息子を、私は心から尊敬しています。

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