創業者の横顔

創業者 中島喜作

 明治44年6月8日、父増太郎・母せゑの長男として、兵庫県養父郡関宮町関宮777番地にて生をうける。大正13年、関宮町立高等小学校を卒業後、姫路市で金物商を営む「永宗」に勤務していたが、昭和18年第二次世界大戦のため兵役につき、南方のスマトラ島で終戦をむかえる。終戦前の戦時下、取扱物資はなくなり男子は徴兵となり、商売が成りがたく、永宗は解散の止むなきにいたる。

 昭和21年8月、復員した喜作は故郷で休養後、長年勤めた永宗の永井宗一氏の助言を得て、昭和22年3月1日、ポンプと水道材料の販売を中心に、中島喜作商店を創業し、永宗時代の販路の掘り起こしと新規先の拡充につとめる。折りから戦後の復興と相まってその地歩をかためる。昭和32年11月30日、業務拡大にともない法人化をはかり、中島商事株式会社を設立し代表取締役に就任。昭和54年、取締役会長に就任。その後は大所高所から経営全般に気を配り、悠々自適の日々であったが、昭和58年8月4日病没。

 創業以来、自然界も人間の世界も生命あるものに欠かすことのできない水のことを考え思いを寄せながら、水にかかわる機器類や配管材料等の取り扱いに誇りをもって世に奉仕することを貫きとおす。
 また、経営理念は常に誠実を旨とし、倫理性を重んじ、継続と永遠性を求めてやまなかった。

「水の五訓」について


創業者は、戦国時代の名武将・黒田官兵衛が折にふれ語っていたと言われる「水の五訓」に教えられるところが多かったようです。
水の柔軟性、変化に対する強靭な芯をもった軟構造など、水のあり方を私生活や仕事の上でも心がけていたようです。

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